若いころからいろいろなことをして働いたし、占いもやれば芸術や文学にも取り組んだが、心理療法の道だけは何度やめようと思ってもやめられずに続けてしまった。

何故だろう、と考える。

最近、心と忠実に向き合うことは、平和を愛することに繋がるからではないか、と思うようになった。

自分の感覚や感情、思考を信じる。体制やメディアに感化されず、自分のからだがおかしいと感じることをおかしいと言う。誰かの都合ではなく、自分で考える。自分の責任を全うして生きる。主体的な生き方を目指す。

そして自分を愛し、自分の生き方を尊重するように、自分とは違った他者の考え、感情、生き方を尊重し、互いに率直に意見を交わし、また助け合う。

これらは、心理療法のジャンルが違っても、どの学派にも共通して唱われていることだ。

自分の頭でものを考え、率直に意見を表明する姿勢は、権力に対する抑止力となる。

自立して生き、生産活動に勤しみ、自分の生活を立てた余剰利益を、援助を必要とする他者のために役立てる。自分が弱った時には、躊躇わず他者の援助の手を借りる。そして力を取り戻した日には、また援助する側に立つ。ホームレス、精神疾患などからの社会復帰を支援することは、その人々が自立した時に、同じ苦しみを持つ人の支えになる人材を増やすことになる。

自分や自分の子どもを正しく慈しむ心を持つ人は、慈しまれない子どもに援助の手を差し伸べたいと願うだろう。人間関係を健全に営むことは、身近な生活の中の平和を保つこと。それがひいては世界平和を願う心に繋がる。

私のごく幼い頃、ベトナム戦争は起きた。太平洋戦争、原爆の悲惨さは、本や親たちの話から知った。その時の衝撃、心の痛みは今も忘れられない。その衝撃が、今も私を突き動かしている。私の複雑な生育歴と身近な人の不幸は、社会の理不尽に対する憤りを育てた。

私は、平和で安心して暮らせる社会を見たいだけなのだ。人の悲しみをもうこれ以上見たくない。笑って生きて欲しい。誰かの悲しみを見る度にキリキリと痛む脆弱な心が、今の私の仕事を育てた。

痛みは自分のアイデンティティーからの叫びだ。痛みに向き合うことは、自分の使命への気づきに繋がる。

私はこの仕事をやめられるはずがない。それは私のアイデンティティーそのものだからだ。

でも、いつの日にか、平和という言葉すらいらない時代が訪れ、人が身近な人的資源の中で癒され、育てられ、他人にお金を支払って相談する必要などなくなる社会が実現できた日には、私は心理療法という仕事を喜んで廃業しよう。そして、今も愛して止まない芸術や文学の世界に遊ぶことのできる日を…

心から待ち望んでいる。

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落合美沙

落合美沙

代表理事一般社団法人日本イーブンハート協会
一般社団法人日本イーブンハート協会 代表理事 イーブンハートスクール校長 心理カウンセラー、フィトセラピスト、アートセラピスト イベントプロデューサー