何事も愛や幸福、楽しみを動機にしなければ、幸せはもたらされない、と痛感するこの頃。
交流分析のパーソナリティ理論、機能分析でいうところのRAC(復讐する子ども)の自我状態は、抑圧されたチャイルドの自我状態が反抗する機能。「だって」「どうせ」と捻くれるネガティブな側面と、「なにくそ」と負けん気をおこすポジティブな側面がある。AC(我慢の子ども、順応する子ども)の一部ではあるが、一般的なACの強いタイプの人は他者に左右されて凹みがちな反面、RACの強い人の方が逆境には強い。
私は過酷な子ども時代をバネに「なにくそ精神」で今日まで乗り切ってきたタイプだが、近頃年取って思うのは、怒りや反抗心は逆境を乗り切る役には立つけれど、ネガティブな動機で頑張るのは、長い目で人生を考えた時には、やっぱりあまりよろしくはない。脚本を通して見た場合、怒りを動機として持ち続けることは最終的に幸せな人生をもたらさないのではないかと思う。
貧乏やいじめられた悔しさをバネに頑張る、というのは、見上げた根性だと世間では褒められがちではあるが、ネガティブな感情にスポットを当てて握りしめていれば、そのネガティブな感情を強化することにもなる。結局のところ、それが私がビンボー根性を手放さない原因ではあるまいか、と思うに至った。
交流分析にストローク(ふれあい)の法則というのがある。経済の法則と同じように、「富める者はますます豊かに、貧しき者はますます貧しくなる」。金銭的に豊かに育った人は、無駄遣いはしないが、お金を無闇に惜しまず、人にプレゼントをしたり、自己投資をする。同様に、豊かな人とのふれあいで育った人は、人にも自分にもポジティブなストロークを惜しまないし、ストローク不足で育つと人とのふれあいが苦手になりやすい。人は無意識に育った環境を、「馴染んだ巣穴」のように求めて行動する側面がある。
今、自分の脚本の書き換えに取り組みながら、私が貧しく孤独だった過去の痛みを手放すことが、最も重要なのだと感じた。「悔しい!なにくそ!」と歯をくいしばるのではなく、愛と幸福と楽しさのために日々を暮らそう。現実を見れば、私の周りには良い人が沢山いて、私は大切に扱われている。やりがいのある仕事に恵まれ、大抵のやりたいことはやれて、毎日ほぼ気分良く過ごせている。
だからそうしたい時に私は休んでもいいし、遊んでもいい。歌もダンスもやっていい。仕事も、自分の気持ちに正直に、心の赴くやり方をしよう。目先の利益のために気の向かない目標を立てても成果には繋がらない。無駄に遠回りをして疲れるだけだ。
多くの分野に手を付けたことも、一見闇雲で無計画なようだったが、細い糸が繋がって、どうやら少しずつ統合されてきた。心の赴くままにやってきたことが、全て今日のために必要だったと今思える。
ユング心理学にいわゆる「コンステレーション(布置)」とはこういうことらしい。本当の意味は、ずっと後にならないとわからないものだ。
落合美沙
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