カウンセリングに必要な、自己一致、無条件の受容、共感的理解。そのための安全な「場」をつくることを、どのように表現したら良いか、昨日のカウンセラー養成講座で話し合った。

例えるなら、「クライエントと二人で温泉に入る」と思ってはどうか、という話になった。

真っ裸になって、ゆるゆると温泉に浸かれば、自然と心も体も解れて本音が出る。老いも若きも、貧富の差も立場もない。ハダカになれば人間みな同じ、ついとるもんがついとって、ついとらんもんがついとらんだけだ。それでも人のハダカは千差万別。違いをそのまま見せ合う。構えも羞恥心も捨て、一人の人間対人間として付き合う。そんな付き合い方ができたら、自然と信頼関係は生まれる。銭湯フリークの私ならではの発想かf^_^;

看板に偽りなし。カウンセリングくらいそれが必要な仕事はない。心に僅かな偽りがあっても、病む人は敏感に感じ取り、カウンセリングが進まなくなる。

普段の人間関係も同じだ。そうした本音の交流を、人は危険なことだと思い過ぎてはいないか?看板に真実の自分を掲げていたら、必要な人が集まってきて、合わない人は近寄ってこない。腹の探り合いは疲れるだけで不毛だ。その方が本当は安全なのだ。

だから私は嬉しい時もしんどい時も、ありのままに表現する。カウンセラーだって人の子だ。好不調の波はあるし、未解決の問題も抱えている。全てが万々歳、なんて人生はない。良いことも悪いことも引き受けて生きていけば良い。肩書きではなく、病むことのある一人の人間として、人の痛みに付き合いたい。

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落合美沙

落合美沙

代表理事一般社団法人日本イーブンハート協会
一般社団法人日本イーブンハート協会 代表理事 イーブンハートスクール校長 心理カウンセラー、フィトセラピスト、アートセラピスト イベントプロデューサー