赤ちゃんって毎日新しい刺激を受けるので、時々夢を見たりして驚いてわーんと泣く。レイちゃんの赤ちゃんにもそんなことが増えてきた。
今夜は夫も娘も帰りが遅く、レイちゃんと二人の晩ごはん。レイちゃんがしみじみ「うちの子は幸せだな。怖いよう、と泣いたら私でも他の誰かでもすぐとんできて、抱っこして大丈夫、大丈夫、と慰めてくれる。赤ちゃんってまだ怖いことがいっぱいで、誰かに抱かれると安心する。でも、そうしてもらえない赤ちゃんもいっぱいいる。それが世の中は怖いところだという印象を作ってしまうんですよね。どの子もみんな、抱っこされて可愛がられて育ったら、病む人も犯罪者になる人も減るだろうにね。」
人生脚本の書き出しは、まさに赤ちゃんの時だ。お母さん一人では、赤ちゃんを可愛がってあげる余裕がなくなる時がある。そんな時に代わりに抱っこしてあげられる他者の助けが必要だ。それは血の繋がった家族でなくてもいい。ご近所でも、友人知人でも、親子の間に入って援助の手を差し伸べられる社会が創りたい。
コミュニティーを分断してユニットを小さくした方がものが売れる。商店街の電気屋や風呂屋にしかテレビがなかった時代は、ご近所みんなで集まって力道山や巨人の応援をしたものだ。それが一家に一台となったら、もう人は集わなくなる。今や一人に一台となれば、家族も部屋に籠って居間に集まらなくなる。テレビが売れる代わりに、人はコミュニティーを失う。
風呂屋もそうだ。それは社交の場の一つで、お母さんがお風呂に入っている間に、赤の他人が赤ちゃんを見てあげたり、子どもが走り回ると他所のおばちゃんに叱られたものだ。家風呂がどこの家庭にもあるようになって、風呂屋でのご近所付き合いも失われた。
そんな消費社会で、他人との付き合いを避けてどんどん人は孤独になり、物が流通するのに比例して心を病む人は増えていく。
右肩上がりの経済成長はもう終わった。消費が幸せの象徴であるかのような価値観を捨てなければ、これから先、私たちは生き延びていけないのではないか?お金がなくても人と助け合って暮らす幸せを、もう一度取り戻す必要があるのではないか?
今もこうして赤ちゃんは産まれる。私たちは社会を次の世代に引き渡す。少しでも暮らしやすい社会を手渡すことが、親となった私たちの責任だ。
落合美沙
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